苦手という奇跡
以前、知らない人によく話しかけられる「奇跡の会話」についてブログを書きましたが、苦手がゆえに功を奏した記憶が思い起こされたので書き留めておこうと思う。
私は運動ができない。
身体が余り丈夫じゃないことと運動への苦手意識が重なり、
ますます身体を動かさなくなることでさらに運動が苦手になるという
サイクルを繰り返しながら、どうにかこうにか高校まで卒業した程だ。
いまやイジメにつながるという理由から学校教育の場で行う機会が減っているドッジボールだけれど、私が小学生の頃は一大ブームで授業でも休み時間も頻繁に行う機会があった。
そんな運動神経皆無の私が、思わぬ形でチームを勝利に導いた経験が数度ある。
ボールを投げるのも受けるのも絶望的に下手っぴな私にとっては、
ボールが当たっても受け取れても地獄。
当たったら受け身が下手すぎるあまり、
必要以上に転んだりして無駄に痛い思いをしなくてはいけなくなる。
受け取れたら、ボールを変な方向に投げてしまう可能性大だ。
とにかくボールに触りたくない一心で必死に逃げに逃げまくり、
内野最後の一人として大健闘したのだった。
今にして思えば、これは苦手がもたらしてくれた奇跡だと思う。
学生時代の「苦手な単元」「苦手な教科」の名残で、
苦手はつぶさないといけないと思いがちだけれど、
大人の世界では案外そうでもない気もする。
苦手だからこそ新たなビジネスチャンスに気づけたり、時に功を奏すこともある。
だから得意なことを伸ばして苦手が役立つその時を待つんだ、と
子どもへ伝えてあげられるような大人でありたい。
皆川さんが「自分は要領が良くないし物事を理解するのに時間がかかる」と
自分の苦手をきちんと言葉にされていたのが、印象に残りました。
だからこそ、自分が生きている時間で出来る限界を念頭に、
次の世代へ続いていけるように制作をされているそうです。
とっておきの日常着に思い出を刻みともに人生を歩んでいけるという考えは、
日本古来の着物文化に似ているという説は納得がいくものでした。
ミナペルホネンは、私にとって憧れのブランド。
いつか日常遣いの晴れ着を探しに行きたいです。