見えない壁

同じ5歳差でも、昭和生まれと平成生まれの間にジェネレーションギャップを感じることがある。 年末年始に帰省した際に、同級生と「令和に変わって私たちも年寄りだね」と話をしていた時のこと。昭和と平成の5歳差に関するジェネレーションギャップの話題が出て、思わぬ盛り上がりを見せた。

 

私たち90年生まれにとって、5歳差に該当するのが35歳の人と25歳の人だ。平成生まれの25歳の人と話す時は然程ジェネレーションギャップを感じないのに、なぜか昭和生まれの35歳の人と話す方がジェネレーションギャップを感じることがあると共感の渦が巻き起こった。35歳の人の方が社会的に大きな立場であることや年上である事を抜きにしても、時折ワーディングに見えない壁を感じることがあって、まごついてしまうことがある。

 

具体的例としては「デート」。「デート」という単語は聞いたことがあっても、平成生まれにとっては馴染みのない言葉だと思う。本やなんとなくの意味しかわからないというか、感覚的にしっくりこないし使っている人を周りで見かけない。異性と遊びに行く=デートと理解しているけど、果たしてそれで本当に合っているのか確証が持てない。

 

Mr.Childrenの曲にデートクラブっていう単語が出てきた記憶があるのだけれど、どういう意味なのか分からないなぁと思いながら聞いていた記憶がある。前後の文脈からしてこの場合は援助交際パパ活に近いものを感じるけれど、実体がまるでつかめない。

異性と遊びに行ったり食事に行くことはそこまで特別なことだと思わないけれど、なんとなく年上の人が言うデートって煌びやかな特別感が感じられるので、どう返答すべきか少し悩んでしまう。

 

38歳を迎えた年上の友人から「うっすらだけど小学生の頃まで羽振りの良い大人がいた記憶があるし、大学生の頃はエビちゃんもえちゃん全盛期で、みんなお嬢様スタイルでブランドバッグで通学してる子が当たり前だったんだよ。彼氏だって車持ってる男の子だっていっぱい居たし一緒に出かければ支払ってくれる事だって多かったし、2人で出かけるって事にさくらちゃん含め今の若い子たちより特別感あったよ。何だかんだいって今の子たちよりも豊かさはあったよ。」と言われて驚きだった。

 

デートという言葉に煌びやかな特別感を感じるのは、バブルの豪華な残り香なのだろうか。それとも90年代は良かったという年上の方々の思い出の輝きなのだろうか。

私たちが35歳になる頃、どんな言葉が見えない壁となるのだろう。

 

言葉はいつも想像を超えるものだから分からないけれど、案外「やばい」あたりが見えない壁となりそうな気がする。